趣味と特技


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趣味 無芸無趣味と本人は言いたいのだが、そう言えば、周囲から文句が出るであろう。口の悪い姫路工業大学教授の後輩は、「皐盆栽は趣味を越えて道楽になっている」と断定する。つまり私は何事も中途半端なやり方を嫌うからであるが、全て趣味が高じたのではない。大病の直後に結婚したとき、「動かない体をどうすれば少しでも動かすことができるか」が大きな問題であった。そこで好きなことなら体を動かすことができるかも知れないと考えた。

 「では何ができるか」が次の問題であった。当時住んでいた神戸駅近くの狭いマンションには専用庭があったので、皐を挿して苗を作ろうと思い立った。実家が宇治茶を生産しているので、手伝った経験から、茶の木に育て方の似ている皐は手頃だと判断したのである。数百本の苗木を作り、その3分の1を色々な方に差し上げた。死の恐怖に怯えていたので、無性に生物がいとおしく、私が死んでも差し上げた苗木のうち少しでも生きながらえてくれれば良いと考えたのである。伊勢へ引っ越すとき、残りの皐を1立法メートルのステンレスの網の籠に入れ、この籠を3段に積んだトラック2台で運んだ。伊勢で、さつき愛好会へ入会して、盆栽へと進んでいったのである。 

  鮎釣りに誘われたとき、少年時代に川へしばしば釣りに行った記憶が蘇り、すぐ同意していた。しばらく倭町に住んでいたので、佐八あたりまで自転車で行くのは、大変であった。坂道は自転車にもたれかかって、やっとの思いで登り切った。ゴロ引きという釣法は川を何度も上り下りする。2年間の鮎釣りのお陰で次第に苦痛なく歩けるようになってきた。
 家族が伊勢に来た年の8月に運転免許証を取り、自動車を購入したので、海へも釣りに出かけた。肺と心臓に不安を抱える身には風邪が大敵であるが、重装備して冬の潮風に当たることによって、風邪をひかなくなった。最初は岸壁の釣りであったが、やがて船釣りへと進み、石鯛まで狙うようになった。毎週出かけたので、体調維持に役立ったのである。しかも、山の中で生まれた私は太平洋に出て朝日が昇るのを見るだけでストレスが消えていくのが分かった。鮎釣りも海釣りもコーチが良かったので、腕前はかなりのものと自負している。しかし、残念なことに、宮川の上流にダムができてから、水量が少なくなって大きな鮎がいなくなり、ここ数年間は一度も鮎釣りへ出かけていない。それ故、体重が増えて困っている。

 宇治浦田へ移って2年目にランチュウを飼うことを勧められた。ここでも生き物に対する興味が頭をもたげるのである。コンクリート会社へ行って坪池を作るための棚板を特注した。友人に手伝っていただいて、温室にした14の坪池と外池を二つ作った。ポンプで空気を送る装置も備え付けた。そして水道代を節約するため井戸も用意した。この頃にはかなり体が動くようになっていたのである。
 夏は3日に一度坪池をたわしでこすって水垢を取り、掃除しなければならなかった。これは大変な仕事であった。しかも、毎朝4時前に起きて孵化した稚魚にやるミジンコを遠くの池まで捕りに行くのはさすがにつらかった。設備に多くの費用をかけたが、思うところがあって、8年間で止めてしまったのである。

数年前からある方のクルーザーに時々乗せていただいている。そこで、夏を除けば船をチャーターして毎週と言えるほど海で釣りをしていたのを止めた。これも体重が増える原因となった。しかし、海釣りに使った小遣いを今度は盆栽素材の購入に充てるようになったので、多くの太い皐盆栽が棚に載っている。神戸から倭町を経て宇治浦田へ、そして藤里町へと3回も引っ越した皐の鉢は全て自分が作り出したものであったが、それに新参の皐が加わったのである。藤里町へ引っ越して、たまたま水をやってもらったとき、家内が鉢数を数えると、小さい鉢を含めて350鉢はあったらしい。これを見て我が友は「道楽」と言ったが、購入したのを見るともう何も言わなかった。しかも、である。近くの畑に210本の皐を地植えにしているのである。ここまでくると「道楽」から「狂気」へ移行していると時々自分でも思う。 

  車を運転して遠くへ出かけるのが好きである。父の死後、ガンを患っている近親者が何人かいたので、西国33箇所巡りを思い立った。全て自分の足と自動車で巡ったが、その効果もなく、全てあの世へ旅立ってしまった。

                      

特技 無芸であるから、人に見ていただくようなものは何もない。ただ、皐盆栽に関する腕前はセミプロ級だと自負しており、伊勢さつき愛好会でも技術指導を担当している。

 少年の頃から生け垣の剪定をしてきたので、庭の植木の剪定や世話は植木屋に依頼しない。最近では家内が松の剪定もしてくれるようになった。本当のことを言えば、皐盆栽に比べると庭木がみすぼらしいので、腕の良い植木屋は来てくれないと思えるからである。畑に植えてある木々の剪定も全て家内と二人でする。ただし、家内はもっぱら梯子の固定役である。

 家内は花が好きである。神宮バラ園で講習会があったとき、野バラを台にした接ぎ木の方法を教えてもらい、そのサンプルと野バラの台木72本を持ち帰った。その夜と翌日1日かかって、全てを接ぎ木した。その結果、70本が活着した。これはプロ級である。同じ花があるので、3分の1ほどは差し上げた。これに買い足したバラを含めて全てのバラが現在花を付けるので、我が家のバラ園は見事である。しかし、消毒、施肥等は私がしなければならない。

  最近では畑に植える野菜の品種が定まっている。多くのネギ、南瓜、ナスだけである。つまり、皐と同じ程度の消毒で比較的害虫に食害されにくいものである。西瓜や他の果物はカラスが人間より先に食べてしまった。菜も害虫が先に食べてしまった。野菜に多くの肥料をきちんとやると、害虫もおいしいようだ。しかし、最近では柿やイチジクの味が懐かしいので、植えようという気になっている。