西山正容のプロフィール

[トップ・ページ]   [業績と研究]   [趣味と特技]

 1942年(昭和17年)6月4日に京都府の南部で生まれ、57歳である。高等学校で数学を教えている妻と既に家を出ている二人の息子がいる初老の平凡な教師であり、研究者である。酒もタバコもたしなまない。29歳で大病を患ったので、健康のために意識的にこれらを断っているわけではなく、体が受け付けないという悲しい現実が横たわっている。

           

 皇學館大學へ赴任して24年目を迎えており、先任者が多く退職されたので、今では古狸になりつつある。着任当初はまだ木造の教室や研究室があったが、平成12年に新しい教室棟が建てば、祭式教室とロータリー付近を除けば、昔の面影はなくなる。それだけ私も年をとっているのであって、キャンパスの自然ですら大きく変わろうとしている。

                

 音楽の西山嘉代子先生とは同じ年に着任したが、今は亡き西山徳先生がおられ、西山の姓は3人になったので、学生は西山徳先生を「仏の西山」、私を「鬼の西山」と呼んでいた。偶然二人がタクシーに乗ったとき、お互いが「西山先生」と呼び合っていたので、タクシーの運転手が「失礼ですが、どちらが鬼の西山先生ですか」と尋ねてきた。タクシーに乗った学生がしばしば話題にしていたようである。その「鬼の西山」も「仏の西山」になりつつあるのは、時の流れであろうか。

            

 皇學館大學では英語を苦手とする学生が多い。英語アレルギーの学生の目には西山が鬼に映るのであろうが、これは語学担当教員の宿命であると思っている。従って、着任以来「英語のできる学生」ではなくて、「勉強するという姿勢の定着」を目指してきたつもりである。どんな科目であろうと、どんな仕事であろうと、最初に基本的な条件を整備して事に当たらないと、良い結果が生まれるはずがないからである。

              

 伊勢へ来てから2度引っ越しをして、10年前から外宮の南東の神域に住んでいる。最初は、付近にあまり家がなく、ここが安住の地と思っていたが、ここ数年心が安まらない。孟母三遷の教えではないが、近隣が私を追い出そうとするのである。そこで、新しい家をと考えているが、先立つものがだいぶ不足している。悲しいことである。

         



           学歴と職歴

1942年6月      京都府相楽郡西和束村大字白栖小字下出49の1で生まれる。
1949年4月      西和束村立西和束小学校に入学する。
1955年4月      和束町立和束中学校へ入学する。
1958年4月      京都府立木津高等学校へ入学する。
1961年3月      同校を卒業する。
1961年3月      ハカマ鋼材株式会社へ入社する
1962年4月      関西大学文学部英文学科(二部)へ入学する。
1965年2月      ハカマ鋼材株式会社を退社する。
1965年4月      関西大学文学部英文学科(一部)へ編入学する。
1967年3月      同学を卒業する。
1967年4月      関西大学大学院文学研究科(修士課程)英文学専攻へ入学する
1969年3月      同専攻を終了する(文学修士)。
1969年4月      関西大学大学院文学研究科(博士課程)英文学専攻へ入学する。
1969年9月      大阪工業大学の非常勤講師となる(1971年11月まで)。
1970年4月      龍谷大学の非常勤講師となる(1971年11月まで)
1972年3月      博士課程の全単位を取得後退学する。
1972年4月      関西大学の非常勤講師となる(1976年3月まで)。
1972年4月      大谷女子大学の非常勤講師となる(1973年3月まで)。
1973年4月      夙川学院短期大学の助教授となる(1974年3月まで)。
1974年4月      大谷女子大学の非常勤講師となる(1976年3月まで)。
1976年4月      皇學館大學専任講師となる。
1981年4月      同助教授となる。
1990年4月      関西大学の非常勤講師となる(1992年3月まで)。
1991年4月      皇學館大學教授となる。
1993年4月      鈴鹿医療科学技術大学の非常勤講師となる(1994年4月まで)。
2007年3月      皇學館大學退職
2007年4月      皇學館大学名誉教授となる。
2008年3月      関西大学より学位・博士(文学)を授与される。

所属学会及び社会における活動

1969年 5月     関西大学大学院英語英米文学研究会(現在に至る)。
1976年 5月     日本英文学会(現在に至る)。
1976年10月     日本シェイクスピア協会(現在に至る)。
1977年 4月     皇學館大學人文學會(現在に至る)。
1985年 7月     関西英語英米文学会(1998年3月まで)。
1990年10月     日本英文学会中部支部(現在に至る)。
1992年 4月     名古屋シェイクスピア研究会(現在に至る)。
1996年 4月     東西比較演劇研究会(現在に至る)。 
1997年 1月     故栗駒正和教授追悼論文集の編集(1998年11月まで)